前掛け・見送り

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●金剛界礼懺文見送(弘法太子大師真筆写紺地金文字織)

もともと函谷鉾町には紺地金泥書の弘法大師の真蹟と伝えられる見送を所蔵しており、
宵山飾りでは会所二階で公開している。






現在の文字見送は天保の鉾再興時に複製織されたものだが、天保九年(一八三八)の「御鉾再建寄付録」には東洞院錦小路上るに居住していた蘭医、小森縫殿介桃塢(ぬいどのすけとうう)の寄付(金百五十五両三歩、外に銀二貫目、小判三十三両)により、弘法大師真蹟写といわれる風光帖(ふうこうじょう=後述)をもとに、大師流書家山本嘉之とその門下思省堂社中が筆写し、上立売浄福寺西入近江屋新右衛門が製織、文字の紋織は紋屋辰五郎による、当代の名人たちによって天保十年に完成したもの。

この見送に書かれた金剛界礼懺文は「性霊集(しょうりょうしゅう)」「金剛界礼懺文(こんごうかいらいさんもん)」「秘蔵記」「金剛頂瑜伽中略出念誦経(こんごうちょうゆがちゅうりゃくしゅつねんじゅきょう)」など密教経典や弘法大師の書物からの部分引用であり、天下の名筆、空海の真蹟を広く紹介するとともに模範的な手引きとして選ばれたと思われる。


函谷鉾町には「風光帖」という版木が残されている。

もともと所有していた弘法大師の真蹟と伝えられる紺地金泥書の見送は天明の大火後、天保の再興までの宵山飾りに公開されていたものだが、当時これを見た右近衛大将藤原愛徳と儒学者皆川淇園はおおいに賞賛するとともに、その古見送の傷みを"大師流筆法"の消滅に繋がると嘆き、版木に写し残して、書を嗜む人たちに永く手本となるように刷本として残されたもので、この刷本は、東寺にある空海が最澄に贈った国宝の「風信帖」に因み、「風光帖」と名づけられ、文化二年(一八〇五)に製作され、序(はしがき)に藤原愛徳、跋(あとがき)に皆川淇園とその弟子佐野冠が風光帖製作の経緯を書き記している。






現在この刷本「風光帖」は京都府立資料館がただ一冊所有しているのみで、函谷鉾町には昭和七年に復刷された一部が保存されている。
そして今、函谷鉾の後姿を飾る見送はその「風光帖」をもとに古見送を天保の再興にあたり、より立派に新調されたもので、他の山鉾とは一風変わった重厚さを見せている。






祇園祭について、そして函谷鉾・保存会について、詳しくご紹介しております。「鉾や山を見る」・「巡行を楽しむ」だけでも良いのですが、その歴史、由来、願いなど多くの人々が積み上げてきたことを知って、実際の鉾や山をご覧いただくとより深く楽しんでいただけるのではないでしょうか。

そんな願いを込めてご紹介しておりますので、ぜひじっくり「函谷鉾」を知ってください。